第1章:道の道とすべきは{この世界の始原ー「道」}
名の名とすべきは、常の名に非ず。
名無きは天地の始め、名有るは萬物の母。
故に常に無欲にして以って其の妙を観、
常に有欲にして以って其の徼を観る。
此の両者は、同じきに出でて而も名を異にす。
同じきをこれ玄と謂い、玄のまた玄は衆妙の門なり
『老子』-無知無欲のすすめ (著)金谷 治 第1章
これこそが確かな「名」だといっていいあらわせるような「名」は、
一定不変で真実の「名」とはいえない。
天地の始めの頃はまだ名という概念自体がなかった、
名という概念が生じる事が萬物の母体となり、
天地に萬物が誕生しだしたのである。
故に人は、
常に無欲で変わることなく純粋であるならば
その始源の微妙を認識することができ、
しかし常に欲望に囚われているようでは
万物の末である目に映る事しか解らないのである。
この二つ(始原の微妙と目に映るもの)は、
根本的には同じでありながらも名という認識においては
道(始原の微妙)といい萬物(目に映るもの)と呼び方が異なる。
二つが根本的に同じな事を玄(はかり知れない深淵)といい、
深淵のさらに奥にある深淵は
総ての始原のはたらきのいずるところである。
ここで筆者が印象的に思うのが、固定観念にとらわれるべきではないと強く訴えかけている点ではないかと思う。固定観念というものは、往々にして人に考える事を放棄させてしまうことがある。つまり反射的に思考停止状態にしてしまうというやつだ。
こう述べてしまうと固定観念というものが悪役のように感じてしまうが、実はそうではない。固定観念が悪いのではなく、思考を勝手に放棄してしまう人が悪いのである。あくまでも固定観念というのは結果論であり、条件反射に思考を固定化してしまう人の性をそう名付けただけなのである。
老子はこの安易に決めつけがちな人の性に対して、もの申しているわけである。特にカルチャーショックを受ける様な異文化交流の際には、要注意である。自分が正しいのであって、「それ以外の考え方は野蛮で邪道である。」なんて天動説的な発想をすると、不幸なファーストコンタクトをとること間違いなしである。
老子が生活していた時代
老子が生きたのは、中国の周王朝末期から春秋戦国時代の頃とされている。諸説あり真偽のほどは定かではないが、時代背景的に観ても異文化交流が盛んに勃発して衝突しまくっていたであろう事は想像に難くない。そう考えると、この書き出しの持つ意味が、あじわい深く光り輝いてくるようには思わないだろうか。
固定観念に囚われて、枝葉末節に囚われて、欲に囚われて、言葉尻や体裁や体面に囚われて、いろいろなものに囚われて人という存在は衝突し、または失敗してしまう。老子はそんな表面的な上っ面に囚われるよりも、もっと大切にしなければいけないものがあるだろうと語りかけているのである。
名誉や権勢に財貨、異性に果ては今ある生活ともいえる現状。そんな本来人が欲したり執着してしまうものを、老子は「本当にそれはあなたにとって大切なものですか?」「そしてそれはどれぐらい大切ですか?」と問いかけるのである。
普段人が条件反射的に、無条件に大切だといいたくなるものに対して、執着してしまうものに対してあえて優先順位をつけろと言わんばかりに反省を促すのである。
戦国時代というものは、一方的な難癖をつけて戦争に持ち込むことがあっただろう。経済的に、資源的に追い込むことで戦争に持ち込むこともあっただろう。
そんななんとも言えない状況に追い込まれた時に安易に暴発したり策謀に嵌らないように、または上手に対応すべく認識を問いただすのである。
曖昧な認識では立ち行かなくなり、誇りはかえって玉砕覚悟な無茶な状況へと引きずり込まれた時代。そんな時代に思想の萌芽があったとしたら、老子のような哲学が誕生するのも自然の流れではないかと筆者は思うのである。
第一章で筆者が思う事
事象をよく観て、固定観念に囚われるな。これに尽きると思う。
名と道の同根である玄を感知することが機微を知る第一歩であるとか奥の深い事よりも、簡単に思考放棄して決めつけないようにすることが大切だと思う。
この一章はあくまでも、今後の展開をはかる上での切り口である。この点を考えると後の章にてこの一章がどういった意味合いを持つのか非常に興味深く、また老子が語り始めた起点がここなんだと非常に意味深長な切り出しのように思う。筆者の学びと気分次第であるが、後80章もこの様な感じで自分なりに読み解いてみたいと思う。