技術革新が激しいと思う
ネットでニュースを見ていると、いろんな分野での技術の進歩が目覚ましいように思う。AIなる人工知能の分野も将棋やチェスといった昨今の評価分野から、医療の分野では正確な診断と治療計画を策定したというような実務に直結しそうなところまで人工知能の進歩を感じるまでになっているようだ。
汎用性人工知能が進化し、人間とある分野で対話や討論ができるようになったなら世界はどう変わるだろうかと今年はよく考えた。先人的な推測というか考えは、よく洋の東西で異なるといわれているようだ。ターミネーターなどに代表されるように、ロボットVS人類の対立を想定する西洋文化。鉄腕アトムやドラえもんを代表とする、人間社会に溶け込むロボットといった融和を想定する東洋文化(日本)。
物語の構成を考える時に出る、文化の癖なるものをとらえた洞察かと思う。西洋文化は盛り上がりに対外的な敵を想定するのだろう。これに対して日本のアニメは子ども向けという事も関係すると思うが、ロボットは機械的で異物という感覚で捉えられるよりも、どちらかというと人間臭い描写で日常や敵対を描写しているように思う。
西洋の大陸的文化と日本の島国的文化の差なのかもしれないので、洋の東西で区切るには少し語弊もあるかもしれないがどうなんだろうか?話はそれたが、汎用性人工知能と人工筋肉に高精度センサーを組み合わせてロボットができたら本当に労働はどう変わるんやろか?
資本主義的な側面から見ると、初期投資できる者とできない者との差が明確になるようにも思える。またカネに金を稼がせる的な発想でいくと、初期投資できる者と労働力を明確に仕事に結び付けられる経営者的な手腕がよりシビアに試されるようになるとも言えるのかもしれない。
労働力をロボット化できても上手に活用できずに凋落する可能性。雇われ社長的にビジネスを明確に企画できる新勢力ないしは経営者。明治維新後に訪れた経済的な変革がもしかしたら起きるのかもしれんなと個人的には思ったりもする。まああくまでも妄想の域をでん程度ではあるが、コツコツ一次生産に手を出しながら自給自足を目指すスタンスが自分にはあっているのではないかと思う一年だったように思う。
大晦日は大掃除と身体の掃除もやってしまいましょう
12月31日の大晦日には、「大祓(おおはらえ)の神事」が各々の神社で執り行われています。
神社本庁によると
大祓えは古代より伝わる神事儀礼の一つです。
神道では、人はみな自覚が無くても、知らず知らずのうちに罪を犯し、穢れを受けていると考えられています。
そして、その罪や穢れを除き去り、厄災(やくさい)を避けるために大祓(おおはらえ)の神事が斎行されます。これは、六月と十二月の晦日(みそか)に行われる神事で、全国各地の神社で行われます。
六月に行われる大祓は「夏越(なごし)の祓」といい、本殿前に備え付けた茅の輪(ちのわ)をくぐり、罪穢れを取り除く「茅の輪祭」も有名です。十二月の大晦日(おおみそか)に行われる大祓は「年越しの祓え」ともいわれ、まさに新年を迎えるにあたり、心身共に清めるお祭りです。
との事で、6月末日と12月末日の年2回行われている。
参加できないときは、人形(ひとがた)という紙でつくられたものを、自分の頭から足までの5体と気になる部分や調子が悪い部分に人形(ひとがた)を擦りつけて、最後に「ふ~っ」と自分の息を吹きかける。これは自分の分身というか身代わりであるので、これを大晦日までに神社に持っていって、社務所で神職に渡すか、「年越しの祓え」の納める箱が置かれていれば、そこに奉納すると、大晦日に、神職がお祓いをしてくれるようです。
年末が近づくと、「人形(ひとがた)」は、神社で配っていたり、賽銭箱の近くに置かれてある場合が多いです。
家族の分だけいただいてくればいいと思います。(※賽銭はお忘れなく)
この場合も、祈祷と同じなので、神様が「あんた誰や?」とならないように、「人形(ひとがた)」には、自分の住所や氏名、年齢(生年月日もOK)は記載しておいた方が良いです。
今回は、筆者も家族も参加できないので、人形(ひとがた)を奉納してきました。
もちろん筆者の愛犬(シーズー)の人形(ひとがた)も用意しました...。
(犬形は、無かったので人形にしましたw)
2018年は家族も犬も元気に過ごしたいと思います。